智空の下、キミのとなり

智くんへの想いをただただ綴りたくて…。

今日の日はさようなら

もう10年前になるんだね…

あの日24時間TVの中でリアルタイムで見た

「今日の日はさようなら」

あの日以来、DVDはあるのに一度も見ることができないまま

なのに…ほとんどの場面を鮮明に覚えているのは何故だろう。。


現実にあった物語があまりにも哀しくて切なくて。。苦しくなるほど泣きながら見た

…でも、それだけじゃない

初めて、役である主人公に智くんを感じてしまったからかもしれない。

(演じてる役に智くん本人を感じた事は、後にも先にもこのドラマだけ)

 

智くんって誰かを演じる時

いつもその人を心に住まわせてる

(変な表現かも知れないけど、二重人格のように別の人格が彼の中に存在するような、そんな感じがするんだよね…)


ほとんどの場合

役を演じている時は、物語の中には出てこないその人の人生さえも背負って、その人そのものになってしまう。

大野智はどこにもいない

 


逆に大野智の時は

役の人格が抜けきれないまま、バラエティに出ていることもあったりする

(耕太くん、成瀬領、無門がそう)

ふっとした瞬間や、その佇まいに儚さや哀しみや切なさを滲ませてたりする

 

 

今日さよの時の智くんは

今にも消えてしまいそうな程儚くて

実在する人物だったからかも知れないけど、まるで耕太くんに寄り添うかのように

ただでさえ細い体がどんどん細くなって…

あの時期は、歌番組でもバラエティでも彼を見るのが少し辛かった


このドラマだけは

気を抜くと耕太くんが智くんに見えてしまう事が何度もあって…

穏やかに静かに、そしてとても幸せそうに

まるでその時を満足しているかのように迎える最期が、あまりにもリアルで…

哀しいのに少しほっとしてしまって…

だけど、何故か智くんを失いたくないって

変な気持ちになって

すごく苦しかったんだよね。。

 


ドラマの後

本当のご家族が、息子が蘇ったようだったと話されていた

それくらい、あの二人は似ていたのかもしれない。

 

 

前にも呟いたことあるけど


智くんって、顔の右側と左側で真逆の顔をする事がある

人間の顔は左右対象じゃないものだけど、誰かを演じてる時それを強く感じる


そのことに最初に気づいたのが

今日さよだった

DVDのパッケージにもなってるポスター写真を見るとわかる

顔の右側は切なく消え入りそうなのに、左側はどことなく強い意志を感じさせる

死ぬことは生きること…

ドラマを見て、この顔は既に耕太くんだったんだって思った

 


毎年、24時間TVが話題になると

ふと、見たいなと思ったりするけど

やっぱり見れないまま

もう10年。。。


もしかしたらいい区切りなのかな…

うん。。

でも…

やっぱりムリかな…笑

いつか

大きなタオルを用意して

正座して見たいとは思ってる